食養の開祖 石塚左玄について

食養の開祖 石塚左玄について

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  • 嘉永4年(1851年)福井に生まれる。薬剤師、医師、陸軍少将
  • 明治29年(1896年)46歳の時、陸軍薬剤監(少将)に任じられる。
  • 同年、食養決定版「化學的食養長壽論」を上梓。
  • 明治40年(1907年)食養会設立
    (当時の日本を代表するメンバーが入会)
  • 明治42年(1909年)59歳没
    (没が早いと考える向きもあるが、5歳の頃からの慢性腎炎を克服し、多忙な人生をよくここまで生きたと言えるでしょう。)
食本主義 「食は本なり、体は末なり、心はまたその末なり」と、心身の病気の原因は食にあるとしました。
人類穀食動物論 人間の歯は、穀物を噛む臼歯20本、菜類を噛みきる門歯8本、肉を噛む犬歯4本なので、人類は穀食動物である。臼歯を噛み合わせると、粒が入るような自然の形状でへこんでいるため、粒食動物とも言いました。
身土不二 「郷に入れば郷に従え」。居住地の自然環境に適合している主産物を主食に、副産物を副食にすることで心身もまた環境に調和するということです。
陰陽調和 当時の西洋栄養学では軽視されていたミネラルのナトリウム(塩分)とカリウムに注目し、さらにそのバランスが崩れすぎれば病気になると訴えました。ナトリウムの多いものは塩のほかには肉・卵・魚のいわゆる陽性(動物性)食品で、カリウムの多いものは穀物・野菜・果物・海藻・いわゆる陰性(植物性)食品と分類しました。
一物全体食 一つの食品を丸ごと食べることで栄養素が揃い陰陽のバランスが保たれることと一つの全生命を構成する栄養素がワンセットで揃うこと。「白い米は粕である」と玄米を主食としてすすめました。

「文明先進国の食事は不自然でひどい内容になっている」とアメリカが指摘する100年も前から、日本には、「自然法則に沿った食事をせよ!」と訴えていた偉人がいました。
玄米食・自然食を最初に訴え実践した医師・石塚左玄です。
当時、ヨーロッパ一辺倒だった栄養学に、真っ向から異論を唱えました。

石塚左玄は、

  • ★歴史や地理、気候風土、環境、食養、経済、文化、文明、医学等を学び、生命の問題を生 物学的に、民族的に、風土的にと広い視野で思索した。
  • ★日本で初めて「食育」という言葉を記した。「化學的食養長壽論」(明治29年)
  • ★食事も修行である。食事で人格形成ができる。食を道楽の対象にしてはならない。食養(食物修養)は食育の原点であることを説いた。
  • ★カロリー重視の食の評価を疑い、カロリーゼロの塩や水の大切さを訴えた。

明治の末に白米食の見直しと玄米食の復活を訴えました。食養の指導により、「食医」として多くの病人を救いました。
石塚左玄は、自然食・玄米食の開祖として「食養道」の普及に大変活躍した人物です。
今、世界中で認められている食養(玄米植物食)の元祖は日本人であるということに誇りを持ちたいものです。